オリンピック中止は過去に5回。東京オリンピックの開催はどうなる?

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こんにちは、スポカフェ編集部です!

新型コロナウイルス感染拡大の収束が待たれる中、7月に開催を控えた東京オリンピックの行方に高い注目が集まっています。

1年の延期を経てなお中止となってしまう可能性もないとは言い切れません。

今回はオリンピック史上数少ない、開催中止になってしまった歴代オリンピック大会を振り返っていきます。

オリンピック延期は2020年東京五輪が初

4年に1度しか開催されないオリンピック。数多くある競技大会の中でも特別な存在であり、歴史を塗り替える記録の誕生や、勝負を超えた友情など数々のドラマを生み出す一方で、テロの標的となったり、政治に利用されてボイコットが起きてしまったりなど、劇的な出来事が起きてしまうこともありました。

しかし、それでもオリンピックが途絶えることはなく、1896年に初めて開催されたアテネ大会以降、120年以上にもわたる年月のうち、中止になったのは戦争などが理由の5回のみ。

2020年に開催予定であった第32回大会東京オリンピックのように、1年の延期を余儀なくされた大会はかつて一度もなく、新型コロナウイルスのパンデミックがいかにレアなケースであるかがうかがえます。

過去に開催中止となったオリンピック

これまでオリンピックが中止になったことは、夏季・冬季五輪合わせて全部で5回あります。それぞれの背景はどのようなものだったのでしょうか。

1916年ベルリン五輪(夏季オリンピック)

近代オリンピックの歴史の中で初めて中止になったのは、1916年のベルリンオリンピックです。第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)により、ヨーロッパが戦火に包まれたことが理由でした。

1916年のオリンピックを目指したドイツは、急ピッチで大規模なスタジアムの建設など準備を整えていましたが、開催2年前である1914年に世界を巻き込んだ戦争に突入することになりました。

そして開戦直前の1914年6月、パリで開かれた第17回IOC総会の席で、第6回オリンピック競技大会ベルリン大会の中止が決定されたのです。

テニス・ネットボール・競泳・飛び込みなどの種目に女性の参加が認められた初めての大会だっただけに、中止になることを悔しく思う人も多かったことでしょう。

創立20年目にあたっていたIOCは、オリンピックの近代化に向けて新たな競技種目や国際競技団体の発言力を認めること、女子選手の参加などを決議しました。

また、近代五輪の父とも呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵は、ベルリンオリンピックは中止されても、この大会を第6回大会とするよう命じたそうです。

1940年東京五輪(夏季オリンピック) 東京→ヘルシンキ

2番目に中止になったのは、1940年9月21日~10月6日に開催が予定されていた東京オリンピックです。もし開催が実現していたなら、アジアで開かれる初の大会であり、欧米以外の有色人種国家で開催される初のオリンピックとなるはずでした。

当時の日本は、この東京オリンピックを1923年の関東大震災から復興したことを海外に示す「復興五輪」と位置づけていました。

また、神武天皇即位から紀元2600年目にあたる記念行事の一環とするべく、強く誘致を重ねており、その陰には近代柔道の祖であり、日本人で初めてIOCの委員となった嘉納治五郎の姿があったそうです。

しかしながら、1937年に日中戦争が始まると、欧米各国からはオリンピック開催を断念するよう求める外交圧力が次第に強まっていき、国内でも戦時下における資金や物資、人員の問題から軍部に抗うことはできませんでした。

そして1938年7月、日本政府は「中国との問題により五輪開催が不可能になった」という説明でIOCに開催権を返上しています。その後IOCは、東京との招致合戦に敗れていたヘルシンキ(フィンランド)を代替地に選び直しましたが、結果的に世界中が第二次大戦へ巻き込まれたため、第12回大会は中止となりました。

1940年札幌五輪(冬季オリンピック) 札幌→サンモリッツ→ガルミッシュ・パルテンキルヘン

3番目に中止になったのは東京オリンピックと同じ1940年に開催予定であった札幌オリンピックです。アジア初の大会で、第5回冬季オリンピック競技会にあたるはずのものでしたが、日中戦争の勃発により、夏季の東京オリンピック開催権返上が決まると、札幌オリンピックも自動的に中止が決定しました。

IOCは、3季前に冬季オリンピックを開催したサンモリッツ(スイス)を代替開催地に選びましたが、サンモリッツがIOCの承諾を得ないままスキー競技をオリンピックに組み込もうとしたことから、IOCは前回冬季オリンピック開催地であったガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)に再び開催地を変更することになったのでした。

2度にわたる開催地変更を行ったものの、こちらも第二次世界大戦で中止を余儀なくされました。また、オリンピック冬季大会の場合は、開催されなかった大会において通し番号での回次がつかないため、まさに「幻のオリンピック」になっています。

1944年ロンドン五輪(夏季オリンピック)

4番目に中止になったのは、1944年開催予定であった第13回大会のロンドンオリンピックです。第12回大会の東京オリンピック開催予定を日本が返上した1939年7月、IOCはロンドンで会合を開き、次回オリンピック開催地をロンドンにすると決定しました。

第13回オリンピックを記念し、IOCは本部のあるスイスで多くの行事を開催しましたが、開催地決定からわずか3ヶ月後、ヨーロッパにおける戦争の状況は新たな局面を迎えることになりました。

そして、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告すると、戦火はヨーロッパ全土に広がり、第13回大会であるロンドンオリンピックが開催されることはありませんでした。

1944年コルティナダンペッツォ五輪(冬季オリンピック)

1940年の開催が中止になった札幌冬季オリンピックの次に開催地として選ばれたのは、ウィンタースポーツや登山のメッカとも言われ、世界的にも有名なリゾート地のコルティーナ・ダンペッツオ(イタリア)です。

しかしながら、この大会も第二次世界大戦により開催に至ることはなく、通し番号での回次がつかない「幻のオリンピック」になっています。

東京オリンピックの開催はどうなる?

日本国内で新型コロナウイルス感染拡大が収束する気配は、残念ながらいまだ見えてきていませんが、7都道府県を対象にした緊急事態宣言の発令や10県にわたるまん延防止等重点措置、ワクチン接種で対策を講じています。

日本政府とIOCは、7月の開催について予定通り行う方針で動いていますが、国内外から開催中止を求める声も広がってきており、明確な答えは見いだせない状況であると言えるでしょう。

そのような中、IOCの元副会長ディック・パウンド氏はインタビューで、2022年の冬季オリンピックなどの日程も鑑みたうえで東京オリンピックの再延期はないとし、開催か中止の最終判断は遅くとも6月末までには行われるべきだとの見解を示しました。

また、それを裏付けるかのように、現IOC副会長も務めるコーツIOC調整委員長も大会準備のため、6月15日に来日する予定であることが明らかになっています。これらのことから、オリンピック開催について最終的な決定が出されるのは、6月下旬と捉えてもいいのではないでしょうか。

まとめ

オリンピック史上初の開催延期が行われた東京オリンピック。これまで中止になったオリンピック5大会はいずれも戦争が理由となっていたので、もし東京オリンピックがこのまま中止になってしまうと、過去に例のないパンデミックの影響による中止となります。

オリンピックの延期を含め、まるで何かを試されているような1年でしたが、どのような形であれオリンピックを目指し努力を続けた人々が報われる結果になってほしいですね。